2016/08/28
教室便りvol.09
こんにちは、尾山です。
隣の秋葉山(あきばさん)からの蝉の大合唱も全く聞こえなくなり、空模様も秋を感じさせる今日この頃、そろそろ夏も終わりですね。
ひと月は、あっという間に過ぎて行くかのように短く感じられますね。それでも、ひと月前と比べると、虫の声も、空模様も、日の長さも、随分と変化していることが解ります。まったく同様に、同じように感じられる身体も、ひと月の間に随分と変化しているに違いありません。
まだまだ日中は暑いですが、ここから朝晩は冷えはじめ、身体も冷えへの準備を始める時季でしょう。その日その日の身体の声に耳をすまし、心地よくいきましょう。
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● 9月のスケジュールのお知らせ
・ 22日(木)はお休みです。
※ その他、通常通り行います。
スケジュール
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<人生と学び>
さて今月は、まんぐーす爺さんに語っていただきます。お相手はこぶらさんです。
「さて、『学び』とは何じゃろうか?
人は誰も皆、いったい何を学んでおるのじゃろうか?」
「学ぶ内容は、人それぞれではないでしょうか?」
「そうじゃ、そう見えるじゃろう。
じゃが、人は誰も皆、同じことを学んでおるのじゃ」
「同じことをですか?
しかし、サッカー選手と科学者が同じことを学んでいるとは思えません。
それに世の中には、何も学ぶ気が無い人もいると思うのですが」
「そうじゃ、そう見えるじゃろう。
表面上はまったく異なるように見えようとも、人は誰も皆、同じことを学んでおるのじゃ」
「はあ」
「ヨガとは、己を知ることじゃ」
「はい」
「じゃが、己を学ぶことはヨガの専売特許ではない。
意識的にせよ、無意識的にせよ、人は誰も皆、己を学んでおるのじゃ。
そう、人生経験とは〈それ〉なのじゃ」
「はあ」
「人は、己の心にあるものを世界を通して見ておるのであり、心にないものを世界に見ることはできぬ。
故に、『世界は心を映し出す鏡』と言われる」
「はい、現世(うつしよ)ですね」
「そうじゃ。
そうであるならば、
世界を見る時、それは己の心を見ることに違いなく、
何かを学ぶ時、それは己の心を学んでおるに違いないのじゃ」
「なるほど」
「世界に悪者を見る時、己の心に善悪の観念があると知りなさい。
そして世界に善悪はないと決定し、その観念を手放しなさい。
それが世界から悪者を追放する唯一の方法じゃと知りなさい。
私は不幸だと思った時、己の心に幸福不幸の脅迫観念があると知りなさい。
そして世界に幸福も不幸もないと決定し、その脅迫観念を手放しなさい。
それが己を幸福にする唯一の方法じゃと知りなさい
世界から悪者や不幸が消えた時、そこは元々安楽の地じゃったと知るじゃろう」
「なるほど」
「それこそが人生であり、学びであり、この世界がある理由なのじゃ」
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以上です。
9月もよろしくお願いいたします!
尾山広平