2023/07/02

教室便り7月号

教室便り7月号


はじめに

こんにちは、尾山です。夏至も通りすぎ、早朝4時を過ぎれば空は明るく色づいています。

梅雨も真っ盛り、しとしと降ったり、ゴーゴー降ったり、ジメジメ湿り、サウナのようにムッと暑く、なかなか大変な時季です。こんなとき胸郭周りが固まっていると、呼吸も放熱も滞り、息苦しく暑苦しく感じられるなど、更に大変なことになりそうです。

「伸び」は、吸息によって肺を活性化しつつ、胸郭周りを上げ広げ、胸郭周りをゆるめる作用があるでしょうから、息苦しさと暑苦しさを軽減することにも一翼を担っているといえそうです。

また、消化器の疲れはその周辺である肋骨下部をも固くし、放熱が滞りやすくなるようです。消化器に負担をかけるような「冷たいもの、刺激のあるもの、油っこいもの」などを控え、水分が多く消化しやすい「果物、夏野菜、お粥、お素麺」などを食べるのも夏を快適に過ごす手助けになることでしょう。

難しく考えずとも、この時季は当たり前に食事量は減り、重たいものよりもサッパリと食べやすいものが食べたくなるものです。もちろん、食べ過ぎず、飲み過ぎず、ほどほどに参りましょう。


1月のスケジュール

  • 17日(月)の早朝クラスはお休みです


習慣化と確信

心を調えるために毎日瞑想をしよう。健康を保つために毎日運動をしよう。体重を減らすために食事の摂生をしよう。外国人と話をするために英語の勉強をしよう。決意をしたはいいが、いつの間にやらそんな決意をしたことさえ希薄になり、元の習慣に収まっている。なんてことは人の常。。。

そう、習慣に従うのが心の働きであり、切羽詰まらないと動かないのが心の働きであり、ひと時の欲情に流されるのが心の働きです。つまりは「苦痛を避け、快楽を求める習慣」が根強いからです。「このままではヤバイ」という危機感。「どうしても欲しい、したい、なりたい」という渇望。動機が強ければ強いほど心は素直に働くものです。

しかしながら、そこそこの動機を持って始めたことでも気づいた時には元の木阿弥。いつの間にやら挫折している。それもまた心です。

挫折してしまう大きな理由としてーー

  • 本当に瞑想をして心が調うのか?
  • 本当に運動をして健康が保てるのか? 
  • 本当に食事の摂生をして体重は減らせるのか? 
  • 本当に英語の勉強をして英語が話せるのか?
  • 本当にこのやり方で成果が上がるのか?
  • 瞑想を始めたせいで心が落ち着かなくなったのではないか?
  • 運動を始めたせいで疲れが出てきたのではないか?
  • 食事の摂生を始めたせいで覇気がなくなってきたのではないか?
  • 英語の勉強を始めたせいで寝つきが悪くなったのではないか?

ーーなどの疑いがあることが挙げれるでしょう。

もっと効果的でもっと効率の良い方法があるのではないか? もう止めた方が良いのではないか? などと決意したことを続けることに不当性を持ち、止めることに正当性を持つことになれば当然、続けようとする意欲は起こらなくなるものです。つまりは続ける理由がどれほどあり、止める理由(言い訳)がどれほどあるかが分かれ道です。

習慣化するためには、ひと時の成果を求めることなく、一生を通して懸命に努力し続けるほどの価値があるという確信を持っていることが必要不可欠と言えるでしょう。つまりは「習慣化するに値する」と自身の腑に落ちていることです。

そして。

私自身のことを言えば、ヨガ(悟りへ向かうこと)は、一生を通して懸命に努力し続けるほどの価値があるという確信を持っています。あるいはそれ以外のことには努力する価値はないという確信があります。「ひと時の儚い快楽を求めて苦痛を避けるとこと」こそが自心を不安に陥れる原因であり、悪習慣であると確信しています。また、身体や心を自分であると自己同一視することこそが最悪習慣であると確信しています。

このような悪習慣を止めていくことこそ苦しみの裏側にある喜びではなく、平安という本当の幸福へと至る過程であり、それはまた人が成長していく過程であり、さらにはそれこそが周囲の人々にさえも平安と成長をもたらすことであり、それこそ自心が心底求めていることであると確信しています。

また、ハタ・ヨガ(伸び、欠伸、ため息)は、心身を調整するうえで最も効果的で効率的な機能であるという確信を持っています。

ヨガ、ハタ・ヨガこそは、最良習慣であるというのが私自心の結論です。

何事も確信したなら、習慣化は時間の問題です。

さて、みなさんは何かに確信を持って生きているでしょうか?

参考


おわりに

おかげさまで、もうすぐ1年と半年を迎える安君ですが、安君を観察していると色々と面白いものです。

たとえば、パクパクと食べ続けていると、本人はもっと食べたいようなのに身体はそれを受け付けず、くちからこぼれ落とします。食べたい食べたいと、何回くちの中に入れても、吐き出します。

おそらく量・質ともに、食べ過ぎることができない身体なのです。

私の場合も子供の頃、初めてホタルイカか何かの姿焼きを食べたとき「美味しい、美味しい」とぱくぱく何びきも食べていると、何びき目かになり突然「うぇ〜」となるほど不味く感じられ、それからしばらくは食べられなくなりましたが、それが正常な身体の作用なのかもしれません。

そして、そんな身体の自然を目覚めさせる効果も、「伸び」にはあることでしょう。


以上です。

7月もよろしくお願いいたします。

尾山広平