2022/08/30

教室便り9月号

教室便り9月号


はじめに

こんにちは、尾山です。

毎月書いている教室便りですが、ひと月も経つと季節は移ろい、日差しも、空も、風も、虫の声も、田畑も、様相がずいぶんと変わるものですね。

もちろん、その様相に合わせて私たちの身体も変わっていくことでしょう。

6月・7月を猛暑まえのウォーミングアップ期とするなら、これからの9月・10月は猛暑後のクールダウン期、あるいはそれぞれ登山期と下山期とでも言えるでしょうか。

おそらくこの時季の身体は、風に涼んで「ほ〜やれやれ」といった具合に心地よく胸をなでおろしていくころなのでしょう。

ということで、今月も夜眠るまえには両手を胸に当て、胸の奥を感じ、安らぐ言葉を唱え、「ほ〜やれやれ」と夏の閊えも、人生の閊えも洗い流して参りましょう。


スケジュール

  • 9月19日(月)の早朝クラスはお休みです
  • 9月23日(金)はお休みです

その他、通常通りです。


短絡思考

私たちの多くは「ある一つの原因から、ある一つの結果が起こる」という誤った信念を持っています。

  • 布団をかけなかったから風邪を引いた
  • 歯をみがかなかったから虫歯になった
  • 宿題をしわすれたから叱られた
  • 石でつまづいたから転んだ
  • パンを焼きすぎたから焦げた

これらはいわゆる「短絡思考」です。

風邪を引いた要因の一つとして「布団をかけなかった」も考えられるでしょうが、

その他にも、

  • 夜風にあたって身体が冷えたからかも?
  • 朝方、急に冷え込んだからかも?
  • 口呼吸をして眠っていたからかも?
  • もともと身体の調子がおかしかったからかも?
  • ご飯を食べすぎたからかも?
  • 多量のウィルスに接触したからかも?

もちろん、夜風が吹くことや、朝冷え込むこと、口呼吸をすること、身体の調子がおかしくなること、ご飯を食べすぎること、多量のウィルスに接触することそれぞれにも多くの要因があり、

原因を一つに特定することは不可能ですし、原因を知ることも不可能なわけです。

ある結果が起こるためには、無数の要因が重なり合っているのであり、それはまたその結果を引き起こすために全宇宙が協力しているといえ、もはや人智を超えたものであり、この宇宙で起こる全ての出来事は"神のみわざ"としか呼べない奇跡であると結論づけるしかないことでしょう。

さて。

この"短絡思考"は「誤解盲信」ですから、、、「私を苦しめる」という結果を生みます。

例えば、この短絡思考パターンで物事を判断すると、ある物事の責任を誰かや何かに押し付け、その対象を責め、攻め、傷つけたいという思いにつながります。

誰それのせいで、

  • 私はこんなに不幸
  • 私はこんなに不健康
  • 私はこんなに嫌な性格
  • 私はこんなに嫌な体格
  • 私はこんなにお金がない
  • 私はこんなに人気がない

もちろん、その矢先が自分に向けば、自身を責め、攻め、傷つけようとすることにもなります。

誰かや何かを責めているときに心が安らぐことはなく、何とも落ち着かない不快な気分なことは誰もが経験していることでしょう。

……それでも責めずにはいられない。

なぜなら「私を苦しめた原因を取り除きたい」と思うのが心の素直な働きだからです。

ですから、誰かや何かを責めずにはいられない働きを止めるには、「ある一つの原因から、ある一つの結果が起こる」という誤った信念を破壊することです。

それを打ち消す信念は「物事は原因なく起こる」とか、「物事が起こる原因は無数にある」とか、「物事は神のみわざにより必然として起こる」とか、「物事は成るようにしか成らない」とか、「物事はあるがままである」などです(これらは言葉は違えど同じことです)。

あるいは、結果に対する信念(盲信)を打ち消しても良いです。

  • 私はこんなに幸福
  • 私はこんなに健康
  • 私はこんなに素敵な性格
  • 私はこんなに素敵な体格
  • 私はこんなにお金がある
  • 私はこんなに人気がある

あるいは、現実に対する信念(盲信)に対抗しても良いです。

誰もかれも存在している → 現実は現れでしかなく、誰も何も存在していない

何にしましても、私たちを苦しめる全ては"思い"に他ならず、誤った信念が破壊されたなら、元々ある安らぎに留まるのです。

それは多くの人が最も忌み嫌う"死"という結果(思い)に対しても同じことです。

"死"に対する誤った信念が破壊されたなら、死を目の前にしても人は安らかでいられるものです。

あらゆる苦しみの根因は「無知無明(誤解盲信)」から起こるのであり、ヨガの目的はその誤解を解くことに他ならないのです。

ということで、今月も夜眠るまえには両手を胸に当て、胸の奥を感じ、安らぐ言葉を唱え、盲信を破壊して参りましょう。

参考

ヨガ空間:雑記57「審判(ジャッジ)


おわりに

noteを書きました。

赤ちゃんから習うヨガ【赤ちゃんのポーズ】

赤ちゃんは、誰をまねるでも、習うでもなく、本能的であり、大人となっては聞き逃すところを見習うことができる大先生です。

以上です。

9月も、よろしくお願いいたします。

尾山 広平