2023/12/02

教室便り12月号 THE LAST

12月号


はじめに

こんにちは、尾山です。

いよいよ冷えてきました。紅葉も煌びやかになる中、北風がびゅうびゅうと吹く日もあり冬を感じるこの頃です。

私としてはここらで風邪でも引いておいた方が、身体が冬に対応するだけではなく春の花粉症の軽減にも良いだろうなと思ってはいるのですが、、、

その必要もないのか身体は風邪を選びません。

もちろん、どうなるかは身体次第であり、私が何かを望んだり避けたりするべきではありませんね。

さて、これからも。

『あ』から『ん』まで流れのままに、のびのび安気に参りましょう。



年末年始のスケジュール

  • 12月27日(水)から1月4日(木)までお休み



ヨガとは

ヨガに限ったことではありませんが、誰でも何かを習い始めた当初は先生に勧められたことを素直にやる気をもって実践するものです。

ヨガであれば、「規則正しい生活(休息、運動、食事)」や「菜食」や「聖典読誦」や「瞑想」などを勧められるものです。

真新しいことなので、始めた当初は心も躍り、楽しく取り組め、何かしらの変化も実感しやすいものです。

ところが、時間が経つにつれ、繰り返される同じことに退屈し、つまらなくなり、なかなか変化を感じることができなくなるものです。

〈未熟な心〉はいつも「何かしらの結果」を求めているために、「何も変わらない、少しも進歩していない、少しも成長していない、何も得るところがない、こんなことをしていても何にもならない」などと自分の解釈に逃げてしまいます。

そうなると、やがてそれらを断念し、もっと変化する"何か"、進歩できる"何か"、得られる"何か"など、新たな"何か"を求めて彷徨い始めてしまいがちです。

しかしここで重要なのは、先生に勧められたことを着実に実行することであり、何かしらの結果を得ることではありません。

ヨガで言えば、弛まず続けることそれ自体が良い変化であり進歩であり成長であり、つまりはそれこそが手にしたい結果そのものということです。

それは結果を求める自分勝手な努力の放棄です。

また、それこそがヨガ教師から得られる最大の恩恵であり、実に大きな成果とも言えるのですが、〈未熟な心〉はそれを理解できません。

これまで通り自身の尺度で成果だけを測り、「もっと目に見える何か、手ごたえのある何か、普通ではない何か、感動する何か、劇的な何か、神秘的な何か」などを求めます。

ありふれた退屈で単純な教えよりも、もっと複雑で劇的で手応えのあるテクニカルな教えを探しに向かいます。

こうなると真理を悟ったブッダ(仏)にも、真理を学び、実践し、悟りを求めるボーディ・サットヴァ(菩薩)にも救いようがなく、「縁なき衆生は度し難し」と烙印を押されてしまうのです。

さて。

あなたは、縁ある衆生でしょうか?

それとも、縁なき衆生でしょうか?


私たちはヨガによって、一体「何」を手に入れようと言うのでしょう?

ヨガで手にしようとする【ソレ】は、まったく目に見えず、手ごたえなく、普通であり、常に在り続け、身体が生まれる前も死んだ後もその間も手にしているものであり、失いようのないものですから、手に入れようとするようなものではありません。

ヨガによって、【ソレ】は常に自身の手中にあるどころか、私たち自体【ソレ】そのものであるという事実を知るために、ソレを覆い隠す〈心(無知)〉を破壊しようとします。

ヨガとは、何かを求めたり避けたりする心の放棄(離欲)であり、快楽を求め苦痛を避けることに背を向け【ソレ】に向かうこと(修習)です。

ヨガとは、今ここにない"何か"を求めることの放棄(離欲)であり、今ここにある【ソレ】を求めること(修習)です。

ヨガとは、虚偽を虚偽として放棄すること(離欲)であり、真実を真実として知ろうとすること(修習)です。

ヨガとは、苦(憂い、悲しみ、後悔、疑い、落胆、絶望、妬み、焦り、虚しさ、不機嫌、イライラ、怒り、憎しみ、束縛……)を選ぶことを止めること(離欲)であり、安(存在、意識、至福、静寂、沈黙、平和、自由……)を選ぶこと(修習)です。

さて。

あなたは、苦を選ぶ凡夫でしょうか?

それとも、安を選ぶ菩薩でしょうか?



おわりに

noteを書きました。今回は、安君の『安』という名前の由来についての詳細とでもいえる内容です。

これまでnoteを含め、この教室便り、ホームページ、ブログ、そして著書に、"ヨガ"という観点から徒然なるままに多くのことを書いてきましたが、今回と前回のnote↓は、その集大成とでも言える内容です。

さてもさても。

ここらでそろそろ私も筆を置いて、より修習と離欲へと向かいたいと思います。

筆を置くこともまた、離欲の現れであり、修習へと向かう決意です。

というわけで、

この教室便りもとりあえず、ここまでです。

これまでお読みいただきありがとうございました。


今年も年の瀬が近づいてきたところで、今年の教室便りを振り返ってみますと、

1月号には、「私たちのヨガ(真理)への関心がより高まりますように。私たちの修習が進みますように。私たちの離欲が進みますように」という祈りの言葉で締めくくられていました。

あなたの真理への関心はより高まったでしょうか?

あなたの世俗への関心はより低まったでしょうか?

これからも、私たちの修習と離欲がより当たり前のこととなりますように祈りを込めて、筆を置かせていただきます。

合掌

尾山広平