指針

余計を止める、元気になる。

尾山ヨガ教室は、余計のない「元気」へ向かう道標となる場所です。ヨガをすると健康になりえます。ヨガをすると幸福になりえます。「健康」とは何でしょうか?「幸福」とは何でしょうか?
健康の要素を足すことにより健康であろうとする向きではありません。幸福の要素を足すことにより幸福になろうとする向きではありません。不健康の要素を引くことにより健康になろうとする向きです。不幸福の要素を引くことにより幸福であろうとする向きです。

足し算式ではなく、引き算式です。

内から湧き上がる健康力への抵抗を止める向きです。内から湧き上がる幸福力への抵抗を止める向きです。「荷物」を背負うほど心身はどんより重く、元気が湧き上がってきません。「荷物」を下ろすほど心身はふんわり軽く、元気が湧き上がってきます。「余計」があるほど気は衝突<ブツカリ合い>停滞します。「余計」がないほど気は協調<タスカリ合い>流動します。

根源的にヒトには、不健康を避け、健康へ向かう意思=元気=が流れています。根源的にヒトには、不幸福を避け、幸福へ向かう意思=元気=が流れています。ヨガとは、無自覚化した「余計」を自覚し、無自覚化した「余計」を手放し、「余計」のない「元気」へと指導する行法です。


1. 生活

暮らしの中にいかす

ヨガというテクニックを、『毎日をよりイキイキと生きる』ためにいかすということも大切に授業を行っています。付近にお住いの方、ヨガを生活の中に取り入れて、毎日を快く過ごしてみませんか? みなさんのご参加を心よりお待ちしております。

詳しい場所 


2. 調和

自然の流れに身をまかす

身体という自然の流れに『まかす』ことをしていきます。何の抵抗することもなく、滞ることもなく、ただ身体という自然の働きが向かいたがっている方向へと『身をゆだねる』ことです。それはまるで、重力という自然の働きに身をまかせて流れていく水のように……

それは、自然の働きと心の働きとの調和です。


3. 傾聴

自然の流れに耳をすます

身体という自然の流れに『すます』ことをしていきます。身体が向かいたがっている方向を感知するために、ただ身体という自然の働きのありのままの感覚に『耳を傾ける』ことです。それはまるで、真っ暗な部屋の中を手探りで歩くときのように……

それは、自然の働きを知るはじまりです。


4. 観察

自然の流れを観察する

身体と心という自然の流れを『観察する』ことをしていきます。行為ではなく、「今」という瞬間を『意識している』ことであり、身体と心という自然の働きの中に生まれる思考・想像・感情・感覚のありのままに『気づいている』ことです。それはまるで、大空を流れていく雲を眺めるかのように……

それは、自己へと帰るはじまりです。

錯覚を止める、真実を覚る。

ヨガは、錯覚のない「真実」へ向かう道標となる行法です。[自分]とは、何でしょうか?「生きている肉体」が[自分]でしょうか?「感じている感覚」が[自分]でしょうか? 「感じている感情」が[自分]でしょうか?「想っている想像」が[自分]でしょうか? 「思っている思考」が[自分]でしょうか?「覚っている認識」が[自分]でしょうか?

[自分]であると覚っているソレラの自覚は、錯覚によります。[自分]と結びつけて記憶された情報であり、錯覚によります。「肉体を覚っている主体」が[自分]でしょうか?「感覚を覚っている主体」が[自分]でしょうか?「感情を覚っている主体」が[自分]でしょうか?「想像を覚っている主体」が[自分]でしょうか? 「思考を覚っている主体」が[自分]でしょうか?

自覚とは、「記憶による観念(自分)」と「覚っている作用(認識)」の結びつき。錯覚とは、「覚っている作用(認識)」と「純粋なる観照者(意識)」の結びつき。ヨガの目的とは、この結びつきを解き、[自分]とは幻想であったと覚ることです。ヨガの目的とは、この結びつきを解き、「意識」のみ実在であったと覚ることです。根源的にヒトには、錯覚を避け、真実へ向かう意志=元気=が流れています。

ヨガとは、無自覚化した「錯覚」を自覚し、無自覚化した「錯覚」を手放し、「錯覚」のない「真実」へと指導する行法です。



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